「神聖な清らかさ」を体感した私はパワースポットに行きたくなり、日光東照宮に足を運びました。前日は日光駅のすぐそばのゲストハウスに宿泊し、美味しいランチのお店をオーナーから教えてもらいました。しかし、湯葉で有名なお店なので予約が必要かもと言われました。でも、なぜか私は絶対にランチできると確信していました。
まだ人が少ない早朝、日光東照宮の入り口に立つと、二荒山神社へ続く参道に自然と引き寄せられました。特に霊感が強いわけではない私が、前世で感じた神聖な清らかさを参道で感じ、涙があふれてきました。そして心の中で「来たよ~!私、来たよ~!」と叫んでいました。意味はわかりません。
その後、清らかさを堪能し観光を終えてランチのお店に向かいました。途中で「二荒山神社本社」の看板を見かけ、遠回りになるけど寄らなければいけない気がして訪れました。移転前の古い神社で誰もいなくて、神様が一人で寂しかったのかもしれません。
予約ナシなら開店時間に行くしかないと言われたのに遅くなってしまいましたが、なぜか今日は絶対ランチできるという確信がありました。お店に入ると空席がありましたが、テーブルには「予約席」の札が。スタッフに尋ねると、食事中のお客さんが終わったら座れるとのことでした。「おかしいなぁ、絶対大丈夫と思ったのに」と思っていると、別のスタッフが「今、予約がキャンセルになったので、そのテーブルが空きました」と案内してくれました。
これは二荒山神社の神様がアレンジしてくれたんだ!遠回りは時間調整だったんですね。この日を境に、レストラン運がすごく良くなり、いつも混むお店でもタイミングよく待たずに入れるようになりました。
それにしても、なぜ日光に来たら「来たよ~」と叫んでいたのか不思議です。
「日光に関係ある前世を教えてください」とハイアーセルフに尋ねました(>_<)
日光東照宮に関係がある前世
場面1 日光の修行尼僧
私は20代女性。赤黒い家根のお寺で、白い作務衣を着て、竹ぼうきで庭を掃いて、日々、自分を磨く修行をしています。日光で感じたパワースポットも毎朝、掃除していた所。みんな(誰かわからない、精霊みたいなエネルギー達?)に挨拶していました。今日もエネルギーをありがとう。おかげで幸福感に満ちた毎日を過ごすことができて、感謝の気持ちでいっぱい。
日光で「来たよ~」と言っていた謎が解けました(^^♪
場面2 命を懸けた修行僧
私は30代の男性で、弓矢の練習に励んでいました。それが自分自身の鍛錬のためか、敵に備えるためなのかはわかりませんが、彼は常に心を平静に保ち、滝が流れる山中で修行を続けていました。
40代のある日、若い男性が山道を駆け上がり、寺が襲われたことを知らせに走っています。寺にいた私の右胸には矢が刺さっており、負傷しながらも文字を書き続けました。「死にたくない。後世に伝えなければならないのに時間がない。悔しい。」無念さがこみ上げてきます。
左胸に刺さっていたなら即死だったかもしれませんが、右胸だったおかげで、少しでも多くのことを書き残す時間がありました。畳の部屋で筆を持ち、文字や絵を急いで書き残しています。自分の命が残り少ないことを悟り、後世に伝えるために急いでいます。彼はいつも人々の幸せを願い、自分の利益を考えない無私の人でした。
その後、矢を抜いて止血してもらい、横たわっているうちに彼は亡くなりました。彼は、情報収集や警備の強化ができていれば防げたかもしれないと悔しさを感じましたが、完全に防ぐことは難しかったし、全てを書き残すことは出来なかったが、全力を尽くしてやれることをやり遂げました。
彼は、伝え切れなかったことを私に後世で伝えて欲しいと願っているようでした。
白い光のエネルギー、神聖な清らかさ。私がそれを感じるのは、前世で光の戦士だったからなのでしょう。常に清浄を保つことが大切だとあらためて感じました。
彼が伝え切れなかったことの内容はわかりませんが、私の中にはこのヒプノセラピーをもっと多くの人に伝えたいという思いが湧き上がりました。まだ一人前のセラピストにもなれていませんでしたが、いつか多くのセラピストを育成することになることを予感しました。
この物語に触れ、過去の記憶や未解決の感情を探求することが、私たちの現在の人生にどのような影響を与えるのかを考えてみてください。ヒプノセラピーは、こうした過去の記憶にアクセスし、癒しと成長をもたらす強力な手段です。心の奥深くに眠る記憶を呼び起こし、自分自身の真の姿を見つけられるかもしれません。
ヒプノセラピーやセラピストのサポートを受けることで、あなたも過去の記憶や感情を癒し、より充実した人生を送る手助けが得られるでしょう。興味を持たれた方は、ぜひヒプノセラピーを体験してみてください。